Generativemasks と NFT
Generativemasks と NFT
takawo氏は、8月17日にNFTアートのプロジェクト「Generativemasks」を立ち上げ、NFTアートマーケットであるOpenSeaで公開まもなく販売数1万を売り切って話題となった。それはNFTアート界隈のみならず、プログラミングに携わる人々にとっても一種の事件だっただろう。これはその現象から1ヶ月を経た時点でのインタビューである。それからさらに一ヶ月程度経過した今日現在、彼の考えも置かれている状況も変化しているに違いない。だからこのインタビューは一種のスナップショットだ。当時彼が巻き込まれていた濁流のような状況を反映している。
インタビューイ takawo サン
インタビューア ucnv サン
これ以上ない組み合わせ
後半、楽しみ
視覚表象
「誰がどんなコードを書いたか」
takawo サンと ucnv サンと重なる部分と分断している部分が見え隠れしてる
機能
最後にキレイに落としてる。ズルイ
「温度が上がったかもしれない」
しかし、ポップカルチャーは歴史を軽視している。ポップカルチャーとは、アイデンティティーと、参加しているような感覚です。それは協力、過去または未来とは何の関係もありません。それは現在に生きています。 アラン・ケイがポップカルチャーという言葉を使って、コンピューティングにおける断絶について述べている
ポップカルチャーとハイカルチャー
ポップカルチャーであるということは今、現在まさに批判、批評に晒されるなかで意味が明らかになるものである
ここでは自分がポップカルチャーと古典を対峙させている
1970年代に誕生したヒップホップは,今や世界の様々な土地で根付く人や資源を結びつき広めるための巨大なカルチャーでありフレームワークである.そしてこれは,自分にとってある種の行動指針となっている.
より直接的なところで言えば,フリースタイルラップにおける即興性やライミングにおける言葉遊び,フローのような音楽的な解釈は,自分のクリエイティブコーディング実践において,スタイルとして意識的に取り入れている部分でもある.ビートの上で即興でラップするように,エディタの上で即興でコードを書いている. ビートの上で即興でラップするように,エディタの上で即興でコードを書いている
持たざるものが,土地に根ざした過酷な状況を歌うリリックに宿るリアリティ.それを自分のようなナード兼ヘッズが温かい部屋でそれらに身を重ねて「くらう」ことには欺瞞があるだろうか.
ヒップホップが本当の意味で現代社会を映す鏡となり,その影は以前よりも随分長く伸びている.だからこそ目で耳で追ってしまう.おそらく自分自身も持たざるもの,残されたものである.
自分自身も持たざるもの,残されたものである
takawo サンのこの post は ucnv サンとの対談に漂う噛み合わなさ加減の核心を突いている気がする
立脚している場所の違い
芸術の歴史をないがしろにする NFT 界隈? の話をしていて、 takawo サンがなぜそこに組みしているのかみたいな話をしているんだけど、 takawo サンが形作ろうとしているコミュニティの形、大きさ、その有り様は ucnv サンには(同じく読んでいるわれわれにも)、姿を現していないという、そういう噛み合わなさ